2021年オリンピックが嫌いになった年。

オリンピックはおそらく開催されるんだろう。

そしてその結果

人流抑制できず感染が広がろうと

どれほどの被害が出ようと

IOCJOCも東京都も国も責任を取る気は一切ない

 

安心安全の大会をと

壊れたラジオのように繰り返すばかりで

具体策もなく

未だ無観客にすることすら決定できない

ワクチン接種は義務付けないといってみたり

でも選手たちに優先的に接種するといってみたり

反対派は感情的になっているという割に

開催派は抽象的な表現や精神論にとどまり

何一つ具体的な対策案も指標となる数字も出て来ず

専門家が警鐘を鳴らしても無視

 

そして参加する選手に対しても

感染症などでどうなろうとも自己責任だそう

 

自分たちは開催するだけ

その舞台を用意はするけど

責任は一切負わないよ、というのがIOCのスタンスである

でも入ってくるお金はがっつり自分たちの懐に。

つまり自分達に入ってくるお金のことしか頭にないわけだ。

開催国の経済状況とか国民の生活や健康など知ったことではなく

何なら参加する選手の健康被害さえ

知ったことではないという無責任ぶりだ

 

ワクチン接種するも自己責任

副反応を恐れて打ちたくない選手がいるのは当たり前だが

じゃあワクチンなしで参加して

感染症にかかったらどうする?

自分は平気でもそこから感染が広がったらどうする?

誰が責任を取る?

運営側は責任を取らないといっている

そもそも命を落としたら誰も責任のとりようがない

 

そんな大会に出たいのか?

アスリートではない私には理解できないな

 

平和や平等を掲げる祭典のはずが

もはや金儲けの道具でしかないことがわかってしまった

しかもコロナによる影響でトレーニングや選手選定のプロセスも

どこまで公平と呼べるものなのか…

そんな祭典を無理やり開催されて参加して

それでメダルを取って本当に嬉しいものなのかね?

 

どんなであれ「オリンピック」に参加して

どんなであれ「メダル」さえ取れればいい

それがアスリートというものだというのなら

私は今後一切アスリートは応援できない

まして開催に伴って少なからず税金が使われるようなものなら尚更だ

賛同してない、できないのに好き勝手されるんだからたまらんな

 

そこに関して自分たちに権限はないからと

意思表明することすら放棄する選手は

もはや思考停止と一緒だと思うんだがね。

参加する以上、そこに何の意見もないというのは無責任じゃないのかね。

 

情けないことこの上ないわ。

選手として、アスリートとしての前に

人としてもう少し考えてもらいたいものですわ。

 

 

 

 

 

シンプルが一番。

生理3日目。

やはり2日目〜3日目が体調的には一番厳しい。

といっても以前ほど腹痛はひどくない方だと思うけど

今朝は目覚めた時すでに4時で

走るにはちょっときつい感じがしたので朝の散歩だけ。

1日の目標歩数(8000歩)さえ達成できればいいや。

 

先週注文していたバックパックが届き

来週から新しいバッグで通勤できる。

去年買ったバックパックは大変重宝しましたが…

やはり白に近いベージュは汚れが目立つ。。。

今回は同じブランドで少しだけ大きいタイプ。

色は黒。

 

もう30代も終わりを迎えるけど

30代諸々試してきて痛感したのは

私はそんなにおしゃれに敏感じゃないってこと笑

 

結局のところシンプルでいいや、と。

色々買っておしゃれを楽しもうと思いもしたけど

それを楽しめる性分ではなかったようです。

朝、どれを着ようかと迷う時間が勿体無い

そこにかけるエネルギーが勿体無い

だったらシンプルなもので

どれを選んでも大差なくていい

要は似合ってりゃいいんだな、と。

むしろ体型さえきちんと綺麗に維持できれば

シンプルな服でも十分です。

もともと色気出すタイプじゃないし…

ニュートラルなもの、ユニセックスなものが好きだしね。

 

これが独身だったらまだまだ迷走していただろうけど

幸い一番大事な人には出会えたし

その相手は今一緒にいてくれてる

 

あとは梅雨本番に入る前に

雨に強いスニーカーを用意しておかないとなぁ。

そして少しずつでも自分の持ち物を整理していこうっと。

 

人としてどうあるべきか

東京5輪開催まであと2ヶ月を切ったところ。

世論は延期ないし中止を求める声が多い中、

政府、JOCIOCなど開催関係者はあくまで開催するつもりらしい。

安心・安全と謳うけど

誰に対して、誰が安心・安全なのか

どうやって安心・安全な大会を開催するのか

一般人が納得できるほどの具体策や数字的根拠も明確にされないまま

 

なにせ開催前段階で水際対策強化といい続け

実態はザル管理

 

選手に矛先を向けるのは違うという意見も多いけど

参加者である以上

そこに何の意見もない

意思表示しないというのは違うんじゃないかね。

 

一選手が大会開催を阻止できるとは思わないけど

だからといって何もできないと言い切ってしまっていいのかね

選手には決められないことだからと

開催するなら全力を出して参加するし

開催しないならそれに従うだけですというのは

少々無責任ではないのかな

 

アスリートとしては参加したいですという気持ちはわかる

 

でもすでに日常を壊されて

失職をした人

明日の食い扶持に困ってる人も少なくないだろう現状で

スポーツの祭典を楽しむ余裕がある人はどれほどかね

 

関係者はオリンピックの開催は

感染増加に影響なしというけれど

全く影響ないわけないよね

だってそれで人が動くのに(しかも国を跨いで)

直接影響しないものは関係ない、ということかな

影響がないならどう影響がないのか

どう無関係なのかはっきり公表して欲しいものですが

 

ここまで応援されない支持されないオリンピックも

前代未聞だろうよ

それでも強引に開催されるなら

東京5輪に関わらず今後全ての5輪に賛同はできないなぁ

自分たちの活躍の場だというのに

何の意思表示もしないアスリートを支持する気にもならない

 

スポーツマンシップとは何だったろうね

身体能力や運動能力に優れてる人は

そうでない人より優先されていい存在だったのかね

 

人としてどうあるべきか

 

今、問われているのはその1点なんじゃないのかね

自戒を込めて

人として少しでも成熟できるよう

まずは自分の未熟さを知るところから

そしてそれを受け入れるところから

 

 

朝のランニングは気分爽快。

今日は気がついたら3時19分だった。

どうやら知らぬ間に

3時のアラームは止めてしまったらしい汗

在宅勤務の日で良かった。

 

朝のストレッチから昼のおにぎりの用意まで。

その間に昨夜のWBSを見て

4時20分頃、そろそろ外も明るくなってきたし

走りに行こうかとしたところ、娘が起きてきてしまう。

まだ眠そうで不機嫌だったので

宥めてじいじばあばの部屋へ。

 

久しぶり(な気がする)早朝ランニング。

それでも最大心拍数70%以上をキープして

20分走ることはできるようになった。

 

次は30分だな。

今のペースが6分半/kmってところなんだけど

これを6分きれるくらいで走れるようになりたいな。

夏に向けてランニングウェアも

もう一揃い買いたいところ。

それにサングラスと

ランニング用のワイヤレスイヤホンがあれば完璧!

 

毎朝ランニングできて

朝早くに仕事を始めて

夕方16時には終えて帰れる生活がしたい。

 

人生100年続くというなら

私はまだ折り返しにもきていない。

まだ半分以上ある。

50年以上の時間を精一杯生きていくためにも

やっぱり健康が基本だな。

何をやるにも体が資本だから。

 

やってみたいことはまだ色々あるんだ。

一歩でも二歩でも近づいていくために

今できること精一杯取り組んでいこう。

息子の成長を少し感じられた昨夜

昨日は夜息子と久しぶりに1日の振り返り。

思ってたより真面目に取り組んでくれました。

 

朝は2度寝してしまったみたいだけど

きちんと記録をとっていたし

2度寝したことも正直に話してくれたのは

以前とは違うな。

 

できたこと、できなかったこと

どちらも事実をちゃんと抽出できたと思う。

書くことも以前より面倒くさがらず

朝2度寝しないための工夫で何かないかな?と聞いた時

参考になることが書いてあったと

以前買ってあげた本を持ってきたのは嬉しかったな。

 

初日としては上々でした。

まぁ「継続すること」が一番難易度は高いと思うんだけどね。

その分、やはり日々の積み重ねって馬鹿にできないよなぁ。

 

諦めるより取り組む方がいい

失敗してもそれは学びになる

成功すればそれは自信になる

 

何もしなければ学びも自信も得られない

 

人間だからね

投げ出したくなるような時もあるけど

息子と2人3脚

息子のペースに合わせてまた始めよう

足掻くしかできない自分

月曜は夫と車通勤

行きの車の中で色々な話をする

 

こどものこと

仕事のこと

これからの生活のこと

 

そういう話をするときに

相入れないという気持ちになることもあるけど

今生きてる上で感じる違和感というか、葛藤というか

そいういものが同じなことが多い

 

だからこそ

夫のパートナーは私しかできないと思うし

私のパートナーは夫しか無理だと思っている

そういう相手と出会えて

今共に生きることを選べていることは

本当に幸運なことなんだろう

 

夫がいたから

子どもたちと出会えた

夫と子どもたちがいるから

今の私になれた

10代20代の頃の自分よりは強くなった

ガチガチの強さではなく

受け流すことも覚えたと思うし

昔よりは自分の目指すしなやかな強さを

少しは身につけた

 

こんな世界だけど

自分から死を選べない、選ぶわけにいかない

だから足掻く

かつて夫と出会う前

死にたくて生きたくてもがき苦しんでた自分のように

諦めることを選べないから

無駄だと思えても

ほとんどの人に賛同してもらえなくても

他の人と違う生き方でも

自分が納得できるやり方で足掻き続けるしかないんだ

 

願わくばそういう図太い逞しさと

しなやかな強さを子どもたちに受け継ぐことができますように

絶望に近い気持ちを抱えて生きる

現状での子育てに限界を感じる。

自分の未熟さが招いたことだと思う。

 

情けない気持ちや

誰にもわかってもらうことのない孤独感

生きづらさを日々感じる。

 

不意にいなくなりたいと思う

いっそ消えてしまいたいと思う

本当にそれが選べたら楽だろうか

 

自分という人間の小狡さに

うんざりするほど嫌気がさしている

そしてこの世を動かす権力を持つ大人の

私利私欲がここまであからさまだと

絶望しか感じられない

自分が絶望しか感じないこの世界を

頑張って生き抜けなんて

どの面さげてこどもたちに言えるのか

 

生きていくために

そういった現実に目を瞑るか

覚悟を決めて歩いていくか

2つに1つ

こんなにしんどいのに

こんなに苦しいのに

もう何もかも嫌で逃げ出したい気持ちなのに

諦めたくない気持ちが

心の一番奥底に突き刺さっているらしい